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お客様の声

episode 03 仕事一筋の父

頑固で口数が少なく、仕事一筋だった父。
戦後生まれの左官工で、盆と正月以外は毎日帰りが夜遅くでした。
友達と呼べる人は片手で数えられる程度で、タバコも賭け事も好まず、楽しみといえば、毎晩の晩酌が唯一のように見えました。
そんな父と母、姉と私の4人、それに2匹の猫が家族で、父が座っているときはいつも膝に猫がいました。

幼い頃、私が父と一緒の時間を過ごすのは朝食の時間だけ。
6時に起きたら身支度を整え、庭を掃除して、新聞を取って食卓に置くのが私の仕事です。
そして、食卓についたら、父が起きてくるまで正座で黙って待ちます。
もちろん、父が箸をつけるまで、誰も食べ始めません。
食事中、聞こえる言葉は「いただきます」、「おかわり」、「ごちそうさま」だけ。
あるとき、姉が母におかずの文句を言ったことがありました。
たくあんの味が薄いとかそんな些細なことだったと思いますが、
母がなにか言うのも待たずに、私の目の前をすごい勢いで父の張り手が飛んでいきました。
昭和の家庭では珍しくなかった光景ですが、私にとって、父はただただ怖い存在でした。
叱られないようにするのが精いっぱいで、まともに話をした記憶もありません。

今の主人が結婚のあいさつで我が家にやってきた時には、用意したことを話そうとする主人を遮って、
「それで、あんたは娘を一生食わせていけるのか」―「はい」―「よろしく頼む」
たったこれだけのやりとりで、あとは黙って一人で部屋にこもってしまった、という有様で、さすがに私もこの時は驚いたものです。

そんな父が倒れたのは半年前。母から、もう先が長くないことを聞かされました。
病床でもやはり父は父。週に一度はお見舞いに行きましたが、「猫は元気か?」と尋ねる以外に関心事はなさそうで、
私が一方的に近況を報告して、身の回りの細々とした世話を済ませて帰るだけでした。

最期も静かで穏やかなものでした。
父らしい人生だったな、と思う反面、父にとって私の存在とはなんだったんだろう、
彼にとって大切だったのは仕事と猫で、私なんていてもいなくてもいいような存在だったのではないか、
とさえ思いはじめ、葬儀の前に、なんとなく姉に愚痴ってしまいました。
すると姉が、葬儀社の方がつくってくださった父の思い出コーナーに私を連れて行き、あるものを指さしました。
元の色が分からないほどに汚れて、底に穴の開いた巾着袋。
父の仕事道具入れでした。
私が小学生の時に、家庭科の授業で作って、父の日に贈ったものです。
「これ、プレアさんに頼んでしまってもらおうよ。みっともないよ」そう言う私に姉が話し始めました。

――実はね、私もそう思ったんだけど、プレアさんが是非にって。
私ね、お父さんが仕事を引退した時、道具の整理を手伝ったのよ。
中の工具はお弟子さんにあげるって言うし、巾着袋、もうずいぶん汚くなっちゃってたから、ゴミと一緒に出しちゃったんだよね。
そしたらその夜、お父さんから私の携帯に何件も着信履歴が入ってて。
それでね、なんと、留守電が残ってたの!あのお父さんが留守電残すなんて考えられないでしょ?
もうびっくりして、てっきりお母さんが死んじゃったに違いないと思って心臓がドキドキしたよ。
あまりにも珍しかったから、まだその時のメッセージ、消してないの。聞いてみなよ。――

『・・・・・。父です。巾着袋の所在、連絡ください。よろしく。』

10秒にも満たないメッセージ。思わず涙があふれました。
父は、収集所に既に出されていたゴミ袋の中から、
さらに汚れてしまった巾着袋を探し出し、
自分で手洗いして、大切にしまっていたそうです。

無口でいつも不機嫌そうだった父。
甘い言葉なんてただの一度もかけてくれなかった父。
でも、どれほど私たちを大切に思っていてくれていたのか、そのメッセージから十分伝わってきました。

プレアの担当の方は、
「本当に、これといった特徴のあまり無い人で・・・」という姉や母から辛抱強く父の生前のエピソードを聞きだし、
この巾着袋の件で、「素晴らしい愛情に満ちた方だったんですね」と涙を流して、
ぜひ思い出コーナーにその巾着袋も置きましょうとご提案くださったそうです。

お父さん、ありがとう。
何十年後か、私が天国に行ったら、一緒にお酒を飲んで、たくさん話そうね。
いや、喋るのはやっぱり私だけかな。その日まで、天国で元気でね。

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